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Friday, December 6, 2013

MOOCs: 教育提供者が多様化するとどうなる?②(MOBCからの脱却!)


先日の記事(だいぶ前になってしまいましたが)、Googleのオープンエデュケーション市場への参入によって教育がどう変わるかについての続きの記事です。


前回の記事①では “高等教育が市場競争にさらされてどうなっていくか” について書きました。

後半の今回の記事では 学習者との関係” について書いてみようと思います。

2. ターゲット(学習者)にどうアプローチするのか


(1)MOBC (Massive Open BOnline Courses)という現状

先日、ペンシルバニア大学の研究で、MOOC受講者の大半がいわゆる「恵まれた」層の人たちであることが明らかになりました。
記事はこちら(日本語)↓
大学の大規模公開オンラインコース(MOOC)を受けているのは、実は「裕福な人」だった?

詳細はこちら(英語)↓
The MOOC Phenomenon: Who Takes Massive Open Online Courses and Why?

これらによると、
受講者数において現在Coursera全てのコースの約20%の割合を占める同校の複数のMOOCコース受講者対象の調査で、


"The student population tends to be young, well educated, and employed, with a majority from developed countries. "
受講者は先進国に多く、その中でも比較的教育レベルが高く、雇用されていて比較的若い層に多い。

"There are significantly more males than females taking MOOCs, especially in developing countries."
とりわけ発展途上国において、男性の受講者の数が女性の数を上回っている。



という結果がでたそうです。

まさに、MOOCならぬ
MOBC (Massive Open BOnline Courses: ボンボンのための大規模公開オンライン講座) になっているわけです。

これは単なるアーリーアダプターが受講している現状を明らかにしただけなのでしょうか?放っておけば他の層にも広がって行くのでしょうか?

この現状を認識した上で考察をしてみました。


(2)Google参入でMOBCからの脱却をはかる

Googleが参入したことにより、世界中の誰もがMOOCを提供する側に立てるようになります。これによってオンライン教育は大学だけのものに留まらない広がり、例えば

- 企業が社内研修に用いたり
- 家庭教師が自らの指導に用いたり
- 中学生、高校生が生徒向けに講座を開講したり
- ある人が、同じような趣味を持つ人々に向けて講座を開講したり、等々

を見せるでしょう。
このように、今まである意味で「伝統的な大学の教育」しかMOOC上で行われなかったものが
その型をはずれ、個人的な用途等様々な方向に広がっていきます。

つまり、様々な需要に応じて講座が開かれていくことが予想されるわけです。


需要に応じて講座が開かれれば、例えば

MOOCで途上国のために農業技術を教える講座を開講する農家が現れる

なんてことも考えられるのではないでしょうか。
アフリカ等途上国における農業技術発展の需要に伴って、途上国の気候や土壌に合う農作物の栽培方法を教えるような講座があれば、途上国からの受講者が増えるのではないでしょうか。

このように、学習者の需要も考慮した上で、MOOCを現在の教育システムと完全に置き換わるものとして捉えるのではなく、上手く生き伸びていける場所を見つけて行けるように議論することが大事だと思います。

最近はMOOCに関する調査結果が出てきているので、ますます面白くなってきたと感じています。今後も慎重に動きを追って行きたいと思います。


Saturday, October 12, 2013

日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC: Japan Massive Open Online Courses)が設立

10月11日、日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)という、
日本で初の、オープンエデュケーションを推進する大きな団体の設立記者会見が行われ、参加してきました。

記者会見後の記事です↓

そしてこちらがJMOOCのウェブサイトです↓

設立目的として、JMOOCのサイトには以下のようなことが書かれています。


”私どもは、国境をこえた新たなオープン教育が大学等における高等教育のあり方を変革する1つの駆動因になるとの認識にたち、日本の高等教育を国際的に孤立化させないとの観点から、米国型MOOCとは異なる日本発の、「産学での協働事業」を前提に日本全体の主要大学・企業の連合による事業運営を目指した組織として、日本オープンオンライン教育推進協議会(略称:JMOOC)を2013年10月11日に設立しました。”


米国のCoursera, Udacity, edX, それから英国のFutureLearnの動きを受け、いよいよ日本でも大きな団体の立ち上げが行われたか、という感触です。
しかし、安西祐一郎先生が副理事長になられるなど、運営メンバーの豪華さには大変驚きました。
産学が連携して立ち上げ及び運営をしていくというのが特徴として大きいと思うのですが、これが良い方向に転ぶか悪い方向に転ぶかは今後を見てみないとわかりません。


JMOOCは、5年で成果が出なければ組織を畳むとしており、3年目に成果の評価を行うらしいのですが、その一つの指標としてJMOOC事務局長の福原先生は、「受講者数100万人」という具体的数字を挙げておられました。この数字は不可能ではないと。

個人的には、日本という国の状況下では受講者数の伸びはあまり期待できないのではという気がしますが、企業と連携しているので、その力を上手く借りて広報をするなど広く日本人に知られるような取り組みになれば未来は明るいかと思います。
ぜひとも、コース開講(2014年春から順次)直後に受講者数がぐんと伸び、その後少なくなっていくというようなことが起こらないように、提供コースの選定、質、受講者のニーズとのマッチング等をきちんと考慮したものが提供されることを願います。

しかし当然のことながら「受講者数」のみが指標となるべきではありません。受講者数が多くなることのみを目指すのではなく、講義の質、受講者の学び、コースのユニークさ等様々な要素で成果判断をすることが大事でしょう(運営メンバーの方々はわかっていらっしゃると思いますが)。
「受講者数の多さ」というのはMOOCの一要素であるので、JMOOCの目指す日本発のものとなるために、「受講者数」以外の要素も丁寧に分析し、独自のカタチを目指していって欲しいと思います。


しかしながら、あれこれ予測するよりも、受講者数を始めとした様々な「数値」がデータとして蓄積され可視化されることで、今後の日本及び世界におけるオープンエデュケーションの展望も見えてくると思うので、それを楽しみとしたいです。


関係者の方とお話しながら、日本発のこの取り組みを今後「良い」ものにしていけるように、私も微力ながら研究者として将来的に何らかの形で貢献出来たらなと思いました。




Thursday, September 12, 2013

MOOCs:教育提供者が多様化するとどうなる?①


前回書いたMOOCsについての記事では、MOOCsの失敗等についても触れましたが、
先日MOOCsについての新しいニュースが入ってきました。こちらです↓



グーグル 大学講義を無料配信

世界的な企業であるGoogleが、有名なMOOCsのプラットフォームの一つであるedXと提携し、誰でもオンラインコースを創れるウェブサイトを立ち上げることになりました。

個人的にはGoogleがMOOCsの動きに大きく参入してくるのは時間の問題かと思っていましたが、やはり大きなニュースとなりました。
これによって、大学に限らず企業、そして個人等誰でもオンラインコースを提供できることになります。

さて、このように教育提供者の多様化がぐぐっと進むことは、どういうことを意味するのでしょうか?今までは大学が提供していた高等教育は将来どうなるのでしょうか?
今回も、私なりに考えたことを2点の側面から記したいと思います。


1. 高等教育が市場にさらされ、淘汰されるとどうなるのかについて

2. ターゲット(学習者)にどうアプローチするのかについて


この記事では1についてのみ述べ、次の記事で2について考察します。


1. 高等教育が市場にさらされ、淘汰されると何が起きるか


高等教育の提供者が大学から個人まで多様になり、それらが皆同じプラットフォーム上で(高等)教育を提供すると、どうなるのでしょうか。

大きな変化が起こるかどうかは、個人的には、「大学」という教育機関としての伝統がどこまでユーザーに魅力的に映るかにかかっていると思っています。
つまり、「大学」というブランド、あるいはハーバード大、東大などのある大学のネームブランドが、企業など多様な提供者のいる中でいつまで「教育を提供する者」として上位に居続けられるかが鍵だと感じています(現在上位にいると仮定)。

前回の記事でも紹介したOERの市場では、「MITの教材だから質が保証されている」というように、ユーザーがOERの質を判断する材料として、特定の大学のブランドが在ると報告されています。

これが崩れれば、面白いことが起こります。

大学等伝統的な教育機関や一般人、及び企業が、平等に近い条件下、かつ同じ土俵の上でユーザーに教育を提供するので、授業のおもしろさ、親しみ易さ、重要性、必要性など様々な要素によって各授業の人気が決まるでしょう。
つまり、大学の教授の授業よりも一般人が行う授業の方がおもしろくて人気が出る、というような現象が考えられます。Khan Academy (カーンアカデミー)のような状態ですね。

しかし、「人気が出るもの=いいもの」とは限らないことはどなたもお分かりでしょう。

そこで、そのような多様化するMOOCsにおける質評価のシステムのようなものが今後必要になってくると思います。
OERにおいては、教材の質を判断できるようなものが現在ほとんど存在しないために活用者がどの教材を選ぶのが適切なのかの判断ができず、教材利用があまり進んでいない状況です。
MOOCsにおいても提供者の多様化が進めば、オンラインコースの質を保証する大きなシステムの要求の声があがるのではないか、と考えています。
おそらく、小さなグループ向けのオンラインコースや沢山の学習者を対象とするオンラインコースなど、様々な種類のものが創られると思いますが、それぞれにおいて一定の質が保たれることが、教育においては特に、大事なのではないでしょうか。


次回の記事では、2点目の考察である
ターゲット(学習者)にどうアプローチするのかについて
を書いてみたいと思います。

Tuesday, August 27, 2013

MOOCsは学びの最終形態ではない???②




MOOCsが全てではない


前回の記事→「MOOCsは学びの最終形態ではない???①」では、以下の二点について整理しました。

①アメリカを中心に、MOOCsの失敗等に関する「ポストMOOCs」の議論がポツポツ出始めていること。
②MOOCsはもともと、Open Educational Resourcesという、教材をオープンにする動きから発展したものだということ。


さてこのようにOERから出てきたMOOCsと捉えた上で本題です。
私は最近のメディア報道やアメリカでの動きを眺めてみて、
MOOCsはメディアで騒がれるように、それのみが次世代の教育になりうるのではなく、
以前からある教育の新しい発展の枝分かれの一つにすぎない、という見方をしてもいいのでは、と感じています。


わかりやすく説明すると、
前回の記事でも紹介した「ポストMOOCs」という呼び方は、いかにも

従来の教育 →(OER)→ MOOCs → ポストMOOCs 

という、アメリカのメディアの過度な取り上げ方による一直線の教育の進化を前提にしている見方であると思うのですが、

本来は

従来の教育 → (     )
      → (     )
      → OER → (          )
           → MOOCs
           → (          )

といったように、教育イノベーションの一つとしてMOOCsを捉えるべきではないのではないでしょうか。


その見方を支えそうなものとしてOERについて言及すると、
OERの主要な動きは、先に述べたアメリカ発の例に留まらず、下の例のように全世界に広がっています。

Japan OpenCourseWare(日本)OER Africa(アフリカ)OpenLearn(イギリス)

これに対して、MOOCsはどうでしょうか。主要なCoursera, edX, Udacityはどれもアメリカ発のものだと思います(他にイギリス発のものもありますが、そこまでまだ知られていないと思います)。
実際、アジアの教育者たちはMOOCsに対して「様子見」をしている人が多いようですし、有名なMOOCsの一つであるedXで提供されたMITのコースに登録した人の内訳として、アメリカ、インド、イギリスがトップ3を占め、中国からは予想に反してわずかしか登録していなかったという報告もあります。

このような点について私が考えたのは、おそらくMOOCsが、アメリカのように大学に通うコストが高いような背景のある国にまさにマッチしているものだからこそ、これまでメディアも大きく取り上げ、教育を変えるように確信されていたのでは、ということです(アメリカ中心の視野の狭さ?それに追従してしまいかけている全世界の注目?)。

でも実際は初期MOOCsはそこまで騒ぐほどでなかった、という感じ。
世界を驚かせる動きであったのは確かですが、全世界を巻き込む教育イノベーションになるにはまだ早かった。アメリカの有名大学がこぞって参加したこともあり、全世界の注目を集めている影響で、MOOCsに期待がかけられていた面が大きいのでしょう。


しかし、私はオープンエデュケーションを推進したい人ですので、このような失敗から学び、より効率的に学習ができ、全世界に対応する新しい教育の形態が生まれるべきだと思っています。MOOCsは終わったみたいな書き方をしましたが、冒頭部分で紹介した記事のように、MOOCsから得られた新しいものを活かしていく、もしくはMOOCsをもっと柔軟性のあるものにする方向となれば、現在ある問題を克服していけるはずだと思っていますし、私もそのような部分の改善及び推進に生涯を通じて尽力していく所存です。

MOOCsは学びの最終形態ではない???①



MOOCsは失敗に終わるのか。。。?




最近結構目にすることが多くなってきたMOOCs(Massive Open Online Courses)の失敗や、いわゆるMOOCsの次に来るものに関する意見。
例えば以下のものなどがありました(英語)。

MOOCs May Not So Be Disruptive After All (8/8)


Envisioning a 'Post-MOOC' Era (8/13)


Why Big Data, Not MOOCs, Will Revolutionize Education (8/15)



ちなみに、日本ではCoursera, edX, Udacityなどの主要MOOCsの動きを受けて
「教育の全てが変わってしまう!」というような論調のものがまだまだ多いように思います。例えば次のような記事。タイトルがすげえ。

MOOC革命で日本の大学は半数が消滅する! 高等教育のオンライン化がもたらす「衝撃の未来」(上) (7/17)

オンライン化が、”日本の学歴”を破壊する 高等教育のオンライン化がもたらす「衝撃の未来」(下) (7/24)

WIRED.jp では少しMOOCsの批判について触れられていますね。Quipper本間さんの記事なのでもちろんといったところでしょうか。

大規模オンライン講義「MOOC」は、世界中の若者に就職のチャンスをつくれるか (8/22)

さて、日本ではあまり多く見ないような、上記のアメリカの「MOOCs失敗、次は、、、?」の議論。MOOCsは学びの最終形態ではないとタイトルに記しましたが、このタイトルは極めてアメリカ的です。というのも、MOOCsはメディア等によって騒がれていますが、それのみが次世代の教育になるのではなく、以前からある教育の新しい動きの一つの枝分かれにすぎない、という見方もあると感じているからです。

少々長い話になるかと思うので、今回は前半部分のみを。





オープン教育リソース(OER)から出てきたMOOCs


そもそもMOOCsというのは、Open Educational Resources (OER:オープン教育リソース)という、MITのオープンコースウェアに代表されるような教材をオープンにする動きから出てきたものです。
MOOCsがここ1、2年の動きなのに対して、OERは2001年あたりから動きとして世界に広まっています。

OERは、OECDによれば
「教員、生徒、自主学習らが授業、学習、研究などの目的で自由に利用・再利用できる、公開されたデジタル教材」という定義ですが、砕いて言えば
「インターネット上に転がっている、自由に利用できる様々な種類の教材(ビデオ、シラバス、課題、テストなどなど)」といったところでしょうか。
OERは数えられないほど沢山存在しますが、授業毎、モジュール毎に整理されたりしていて、学習者が自分に必要なものを自由に選んで利用できるようになっています。例としては、次の二つが特に有名だと思います。

MIT OpenCourseWare - MITの講義の資料がほとんど詰まっている。OERの動きの火付け役。

Connexions - ライス大学で始まったOER。「レンズ」と呼ばれるユニークな質管理システムによって教材の質が保たれています。


学習者は、このようなオープン教材に自由にアクセスができて(登録、料金等一切なし)、自由に自らのレベルに合ったものを選び、学習することが出来ます。

OERとMOOCsは全く違うだろう!という意見もあると思いますが(OERは学習者の必要、興味に応じて教材の種類やメディアの種類、講義ビデオの有無などを学習者自ら選択することが可能なのに対して、MOOCsは、授業を提供する教師による伝統的な講義形式を貫いている、受講者同士でディスカッションできる、などなど違いが沢山ある)、理念としては同じもの(教育格差の是正、「知」へのアクセス拡大等※)を共有しています。

MOOCsは突然出現した画期的なものに見えますが、
実は以前からあったOERの理念にのっとっているわけです。




以上、ここまでで前半は一先ず終わりますが、
今回の記事では

①アメリカを中心に、MOOCsの失敗等に関する「ポストMOOCs」の議論がポツポツと結構出始めていること。

②MOOCsはもともと、Open Educational Resourcesという教材をオープンに公開する動きから発展したものだということ。

の二点を整理しました。

次回の記事では、この「ポストMOOCs」議論に対して自分がおかしいんじゃないかと思ったところを述べてみたいと思います。



※ちなみに、オープンエデュケーションの概観については、オープンエデュケーションに大変お詳しい北海道大学の重田先生のスライドが非常にわかりやすいので是非ご覧下さい。私も一部参考にさせて頂きました。







Sunday, June 9, 2013

GOEN Conference に参加しました

6月1日に京都で開かれたこちらのGOEN (Global Open Education Network) Conferenceに招待を頂き、参加してきました!

goen


リンクをご覧頂ければわかりますが、梅田さん、飯吉先生をはじめ、manaveeの花房さん、TFJの松田さん、JOCWの福原先生など、豪華たるプレゼンターの方々のお話を伺うことが出来ました。
各プレゼンについてはここでは取り上げませんが(詳しくはTwitter #goen2013)、全体を通して感じたこと、このイベントに参加して感じたことを2つ記しておきたいと思います。

1オープンエデュケーションを取り巻く関係者の多様化


まずびっくりしたのが、こちらのイベント、学生を多く含む20代の参加者の方が多かったということです。
私がオープンエデュケーションに興味をもったのがおよそ1年半ほど前。この頃はなかなか同じように関心をもつ学生を探すのが大変だったことを覚えています。そのため主に大学の先生方、企業の方々の中で興味をもっておられる方と仲良くさせて頂いていました。

しかし、今回のイベントでも感じたのは、学生の中で興味を抱く方が増えてきているということです。プレゼンターの中にも学生の方が何人かいることは、それを特に象徴しているのではないでしょうか。
飯吉先生はGOEN Conferenceを、多様なAction Takerの決起集会と呼んでらっしゃいましたが、まさにその通りで、オープンエデュケーションを取り巻く関係者が多様化(学生、教員、企業、起業家、政府関係者、NPOなどなど)していて、それらの人が一堂に会した素晴らしい時間でした。
これはオープンエデュケーションが日本でも静かに認知が広まりつつあることを示していますし、私のような若い世代にとっては、今後日本でオープンエデュケーションを盛り上げていくための仲間になります。
今回も学生の方何人かとお話しましたが、皆さん深い知見をもたれている方ばかりで、話すのがとても楽しかったです。

2オープンエデュケーションの動きの中での自分の位置づけ


私自身のことになりますが、上に示した多様な関係者の中で、自分はどのようにオープンエデュケーションに関わりたいのだろうか、関わっていくべきなのだろうかと考えていました。
そこで行き着いたのは、私はこれまでの知識や経験をさらに高め、オープンエデュケーションを学問的、そして実践的な両面から捉えられる人になりたいということです。
ビジネスとして動かしていく人や、大学人として動かしていく人、学生として動かしていく人、多様な関わり方がありますが、私は今後さらに関連分野を学び、様々な経験を積み、それらをもってオープンエデュケーションをミクロ及びマクロなアプローチで貢献したいと思っています。具体的にはまだわかりませんが、どこか組織に属してミクロな実践を改善していく取り組み方も面白いでしょうし、専門家たちと知見を深めるのも面白いでしょう。日本のオープンエデュケーションは日本独自のものを目指すべきだと思いますが、そこに海外の知見を参考にすることは大いにできるので、そういう場面でも貢献できればと思います。
最近はオープンエデュケーションに興味のある方々とお話する機会が多く、そのような方々の関わり方、視点、貢献のカタチを俯瞰し、自分にしかできない貢献の仕方、自分だからこそできる貢献の仕方を探ってきましたが、ようやく見えてきた気がします。


せっかく色々な素晴らしい方々と仲良くして頂いているのですから、今後自らがオープンエデュケーションの促進を進めるということをもって恩返ししていきたいと考えています。


そしてもう一つ思うのが、オープンエデュケーションに興味をもち、素晴らしいものだと感じているからこそ、懐疑的な見解をもつことが重要だということです。
こちらの記事→ オープンエデュケーションとTechnological Determinism でも記したように、何かアイデアを推し進めるには賛否両論を取り入れ考えることが必要です。例えば社会企業のイベントなどには社会企業を「いいもの」と捉えている人が多く集まるのではないでしょうか。しかしそこにはきっと反対する人たちの意見が必要です。私はオープンエデュケーションの分野において、その両者の意見を上手く自分の中で冷静に、かつアツくコントロールできる人になっていきたいです。

促進することと懐疑すること、一見相反することのように思えますが、前者を行うための後者と捉えれば、その重要性は見えてくるのではないでしょうか。



Thursday, February 28, 2013

Open Education and Cultural Imperialism (オープンエデュケーションと文化帝国主義?)


*English follows Japanese


先日ビックリしたこちらのニュース↓


誰でも無料で履修 東大、オンライン講座を9月開講


東京大学がアメリカの代表的なMassive Open Online Courses (MOOCs)プラットフォームであるCourseraに日本で初めて参加することを発表しました。

タイミングがばっちりだった先日のワークショップでも、少しお話が聞けてよかったです。

この動きに関連して、すこし考えてみたのは、「オープンエデュケーションと文化帝国主義」 についてです。
 文化帝国主義 (Cultural Imperialism) という言葉はしばしば非難的に用いられますが、私が用いている範囲においては、一国の文化がその他の国の文化に侵食していくといった簡単な意味で捉えて頂ければいいかと思います。


偶然見つけた、Hong Kong Shue Yan Universityという大学のAssociate Academic Vice PresidentであるAndrea Hope (2005) の以下のような文を見たのがこれを考えたキッカケです。

"Cultural imperialism as exemplified by the use of English rather than the national language; a standardized curriculum rather than a culturally embedded syllabus; and norms of degree architecture rather than a local model."

HopeはこれをDisadvantages of Transnational Educationの一つとして記しています。
要するに、例えばアフリカの子供がアメリカからの遠隔教育を受ける際に、アフリカの言語を用いずに英語で教育したり、アフリカの教育文化の中で使われてきたシラバスのようなものを使わずアメリカのものを適用したり、学位などのシステムもアメリカのものが入ってくる、といったところでしょうか(degree architectureの訳があまりわからず、不確かですが。。。><)。


この文は8年ほど前に書かれたものですが、私はこの文化帝国主義の観点から
現在注目されているオープンエデュケーションを捉えてみると面白いのではないかと思いました。

つまり、MOOCsに代表的なオープンエデュケーションにおいて、仮に、主にアメリカを発信源とするアメリカの教育文化がその他世界へ普及・侵食している、と捉えてみると面白い考察ができるのでは、ということです。

私もいくつかの授業を受講していますが、例えばCourseraのコースは全て英語で提供されていて、シラバスなどは、おそらくアメリカの教育を基に作られているはずです。

しかしここで、MOOCsをそのように捉える際に、興味深い点が二点あります。

①10年ほど前と比べ、英語がグローバルな言語だという感覚が強くなっているということ
②東大など世界各国の国がMOOCsに参加し始めていること


①についてですが、
近年、楽天などが社内公用語を英語にしたことなどに見られるように、世界全体で国際的な取引や移動が増えていると思います。そうした中で英語は世界中どこでも使われるようになってきています。
これがHopeの文が書かれた8年ほど前とはだいぶ状況が違うのではないかということです。

もはや英語で教育を提供することは、「欧米文化」の伝達などではなく、当たり前のこととして捉えるべきでしょう。
日本にいるとその感覚を掴みづらいかもしれませんが、お隣の韓国やその他アジア地域の事情を考えれば納得できるかと思います。

なので、英語を文化帝国主義の表れとして論ずるのは不適切だと感じました。


②については、
この記事の冒頭にも書きましたが、東大を含めアジア、イギリスなどアメリカ以外の地域から
CourseraなどのMOOCsのプラットフォームを使って、教育を提供する大学が増えてきたということです。
このプラットフォームというのがミソで、Courseraはアメリカの大学のみを受け入れるのではなく、世界各国の教育機関の講義を提供するプラットフォームとして機能しています。

すなわち、東大などアメリカ以外の国が自国で行ってきた教育をMOOCsを通じて世界へ発信できるので(もちろんMOOCs用に構成し直すでしょうが)、その意味では「文化帝国主義」の「文化」が一国のものではなく、バラバラ、もしくは複数の文化のミックス状態になっていると思います。

ここで「複数」といったのは、例えば東大がCoursera上で宇宙物理学の授業を開講する際、シラバスは日本の大学で主に使われるようなものにするでしょうか、それともアメリカのものに近いものにするでしょうか。もし後者なら、アメリカの教育プラットフォームで、アメリカ型のシラバス形式で、日本の大学が授業を行う、といった、面白いことになります。
もはや文化といって何を指すのか、ということがあいまいになり、ただ一国の文化が他の国や文化に一方向に伝わるようなものではありませんね。

以前はdisadvantageとして懸念されていた教育における文化帝国主義が、今は複雑なものになり、もはや意味をなしているのかさえわからなくなっています。


今まさに、MOOCsを通して、文化帝国主義という概念自体がもう時代遅れだということを私たちが思い知らされているのかもしれません。


Monday, February 25, 2013

オープンエデュケーションに関するワークショップに参加してきました


2月24日に、以前からお世話になっている東京大学の重田先生らが主催された
オープンエデュケーション・ワークショップ「オープンな教育を創って学ぼう!」 に参加してきました!


どういった内容のものだったかというと、その概要がこちら↓(重田先生のブログから引用)

近年、欧米諸国を中心にオープンエデュケーションと呼ばれる活動が活発になっています。大学をはじめとする様々な教育機関や個人が、インターネット上に教 育用途に自由に使えるオープン教材(OER:Open Educational Resources)を公開し、大学はオープンコースウェアをはじめとする大学教育に使われる教材を無償公開しています。最近では MOOCs(Massive Open Online Courses)と呼ばれる、教育ベンチャー企業や大学が百万人規模でオンライン教育を行う取り組みが急速に広がっています。

このようなオープンエデュケーションの活動とは、いったいどのようなものなのでしょうか。なぜ、ここまで活動が急激に広がってきたのでしょうか。この活動 は、誰が、どのような方法で、どのような支えを受けて進められているのでしょうか。オープンエデュケーションは、既存の教育を変えうるものなのでしょう か。「オープンエデュケーション・ワークショップ」では、このようなオープンエデュケーションに関する問いや疑問、可能性と課題について、主催者と参加者 が共に考えます。

「オープンエデュケーション・ワークショップ」は二部構成となっています。

第一部では、オープンエデュケーションに関する「基礎知識」を整理します。オープンエデュケーションの活動について、さまざまな事例をもとに質疑応答を交 えながら解説します。ここではまず、オープンエデュケーションとは何なのか、未来の教育に対してどのような可能性や課題を持っているのかについて、参加者 の方々の知識を整理して頂きます。

第二部では、オープンエデュケーションを「創ることで学ぶ」活動を行います。「デザイン思考」の方法をベースにしたグループワークによって、オープンエ デュケーションを利用する学習者の探究ストーリーをつくり、様々なサービスを考案しながら学習者の学びの環境をデザインします。オープンエデュケーション の活動を「提供する側」「利用する側」の両面から考え、実際の学習シーンにあてはめてみることで、オープンエデュケーションの持つ可能性や限界について、 理解をより深めて頂きます。

 


要するに、既に知っている人も、知らない人も、近年注目を集めている「オープンエデュケーション」について重田先生のお話を聞きながら整理し、その後、その知識を使って楽しいアクティビティをしよう!という構成ですね。


実際に行くと、参加者の方々は大学関係者から企業の方々、大学院生など年齢層も様々でした。学部生は私を含め2、3人だったような気がします(もっと学部生も増えてほしい。。。)

第一部では重田先生がわかりやすくオープンエデュケーションの「今」を解説してくださいました。
途中で使われていたビデオがとても印象的でした。 それがコレ↓


つまり、新しいテクノロジーによって、教育のかたちやありかたが将来大きく変わることが予想されるわけです。(トントン拍子でいくかどうかは別の話ですが。。。)
私にとっては、知識の整理のような話でしたが、全く知らない参加者の方にとっては色々驚く内容が含まれたお話だったのではないでしょうか。

重田先生のお話のまとめもありますのでぜひ。
スライドも共有してくださっています。

やっぱり私が先生のお話の中で気になったのが、「ニーズ」という背景が後押ししてオープンエデュケーションが動いているということですね。

例えば、
「2020年までに67%の職業で学部卒の経歴が必要」というお話がありました。
アメリカの大学では「non-traditionalな学生」 、つまり働きながら勉強をしている、などの「普通の」学生とは異なるタイプの学生が全体の75%を占めるらしいです。
(ところで、学部卒以上じゃなきゃ出来ない職業って、なんでしょうか。。。)
そして彼らはドロップアウト(退学)率も高いので、そこに、はっきりとした「勉強を続けたいのに大学に通えない」というニーズがあるわけです。
ここでインターネットを介したオープンエデュケーションが使われうるということですね。

また、途上国や新興国では学生の数が将来多くなり、大学自体の数が足りなくなるという事態もおこっています。

このような「ニーズ」があるような背景の国では、なるほどオープンエデュケーションも盛り上がるわけです。

そんな中、日本では、どうでしょうか。
大学全入時代と言われ、大学に入学しても単位をとることが目的になってしまい、卒業は単位さえとればできるような状態ともいえます。
また、少子化と言われているのにも関わらず、大学の数はどんどん増えてきています。

そこで、無料で大学の講義を受けることに対する「ニーズ」はあるのでしょうか。
上に書いた海外におけるニーズに対して、日本でも確かに、地方に留まり、第一志望の学校に通うことのできない学生や、中退者は予想以上に多いです。
でもそれらの実状が可視化されていないということもあって、社会的に彼らをサポートする動きは少ないですよね。つまり、「ニーズ」は浮かび上がっていない。

もっとも、その一方で、「この授業を受ける必要がある/受けたい」 というような思いが今の日本の学生の状況からは生まれていないのではという、「学びに対する意欲」の問題もあると思いますが。

MITのOCWは多くの学生が利用しているそうですが、日本の大学のOCWは果たしてどのくらい学生に利用されているのか。。。 う~ん。


もちろんオープンエデュケーションの利用方法や目的は様々ですが、はっきりとした「ニーズ」はこれだ!と言えるようなものがまだ見当たらない(?)日本においては、まだまだ今後試行錯誤が必要といえるのではないでしょうか。




さて
第二部では、関学の武田先生と阪大の森先生主導でグループワークを行いました。
グループごとに仮想の人物「ペルソナ」を創り、その人物がオープンエデュケーションとどう関わっていくかを考えるアクティビティです。
私のグループは学生が一人だったということもあり、私のストーリーをもとにした「ペルソナ」ができました(笑)
このような体験型の活動を通してオープンエデュケーションを捉えるのは新鮮で、とても楽しめました。



懇親会には、京都大学の飯吉先生の授業を受講して興味をもち、はるばるバスで来たという京大生もいて、私自身刺激を受けたと同時に、同じ世代の学生にももっと広めていけたらいいなと改めて感じました。