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Tuesday, August 27, 2013

MOOCsは学びの最終形態ではない???②




MOOCsが全てではない


前回の記事→「MOOCsは学びの最終形態ではない???①」では、以下の二点について整理しました。

①アメリカを中心に、MOOCsの失敗等に関する「ポストMOOCs」の議論がポツポツ出始めていること。
②MOOCsはもともと、Open Educational Resourcesという、教材をオープンにする動きから発展したものだということ。


さてこのようにOERから出てきたMOOCsと捉えた上で本題です。
私は最近のメディア報道やアメリカでの動きを眺めてみて、
MOOCsはメディアで騒がれるように、それのみが次世代の教育になりうるのではなく、
以前からある教育の新しい発展の枝分かれの一つにすぎない、という見方をしてもいいのでは、と感じています。


わかりやすく説明すると、
前回の記事でも紹介した「ポストMOOCs」という呼び方は、いかにも

従来の教育 →(OER)→ MOOCs → ポストMOOCs 

という、アメリカのメディアの過度な取り上げ方による一直線の教育の進化を前提にしている見方であると思うのですが、

本来は

従来の教育 → (     )
      → (     )
      → OER → (          )
           → MOOCs
           → (          )

といったように、教育イノベーションの一つとしてMOOCsを捉えるべきではないのではないでしょうか。


その見方を支えそうなものとしてOERについて言及すると、
OERの主要な動きは、先に述べたアメリカ発の例に留まらず、下の例のように全世界に広がっています。

Japan OpenCourseWare(日本)OER Africa(アフリカ)OpenLearn(イギリス)

これに対して、MOOCsはどうでしょうか。主要なCoursera, edX, Udacityはどれもアメリカ発のものだと思います(他にイギリス発のものもありますが、そこまでまだ知られていないと思います)。
実際、アジアの教育者たちはMOOCsに対して「様子見」をしている人が多いようですし、有名なMOOCsの一つであるedXで提供されたMITのコースに登録した人の内訳として、アメリカ、インド、イギリスがトップ3を占め、中国からは予想に反してわずかしか登録していなかったという報告もあります。

このような点について私が考えたのは、おそらくMOOCsが、アメリカのように大学に通うコストが高いような背景のある国にまさにマッチしているものだからこそ、これまでメディアも大きく取り上げ、教育を変えるように確信されていたのでは、ということです(アメリカ中心の視野の狭さ?それに追従してしまいかけている全世界の注目?)。

でも実際は初期MOOCsはそこまで騒ぐほどでなかった、という感じ。
世界を驚かせる動きであったのは確かですが、全世界を巻き込む教育イノベーションになるにはまだ早かった。アメリカの有名大学がこぞって参加したこともあり、全世界の注目を集めている影響で、MOOCsに期待がかけられていた面が大きいのでしょう。


しかし、私はオープンエデュケーションを推進したい人ですので、このような失敗から学び、より効率的に学習ができ、全世界に対応する新しい教育の形態が生まれるべきだと思っています。MOOCsは終わったみたいな書き方をしましたが、冒頭部分で紹介した記事のように、MOOCsから得られた新しいものを活かしていく、もしくはMOOCsをもっと柔軟性のあるものにする方向となれば、現在ある問題を克服していけるはずだと思っていますし、私もそのような部分の改善及び推進に生涯を通じて尽力していく所存です。

MOOCsは学びの最終形態ではない???①



MOOCsは失敗に終わるのか。。。?




最近結構目にすることが多くなってきたMOOCs(Massive Open Online Courses)の失敗や、いわゆるMOOCsの次に来るものに関する意見。
例えば以下のものなどがありました(英語)。

MOOCs May Not So Be Disruptive After All (8/8)


Envisioning a 'Post-MOOC' Era (8/13)


Why Big Data, Not MOOCs, Will Revolutionize Education (8/15)



ちなみに、日本ではCoursera, edX, Udacityなどの主要MOOCsの動きを受けて
「教育の全てが変わってしまう!」というような論調のものがまだまだ多いように思います。例えば次のような記事。タイトルがすげえ。

MOOC革命で日本の大学は半数が消滅する! 高等教育のオンライン化がもたらす「衝撃の未来」(上) (7/17)

オンライン化が、”日本の学歴”を破壊する 高等教育のオンライン化がもたらす「衝撃の未来」(下) (7/24)

WIRED.jp では少しMOOCsの批判について触れられていますね。Quipper本間さんの記事なのでもちろんといったところでしょうか。

大規模オンライン講義「MOOC」は、世界中の若者に就職のチャンスをつくれるか (8/22)

さて、日本ではあまり多く見ないような、上記のアメリカの「MOOCs失敗、次は、、、?」の議論。MOOCsは学びの最終形態ではないとタイトルに記しましたが、このタイトルは極めてアメリカ的です。というのも、MOOCsはメディア等によって騒がれていますが、それのみが次世代の教育になるのではなく、以前からある教育の新しい動きの一つの枝分かれにすぎない、という見方もあると感じているからです。

少々長い話になるかと思うので、今回は前半部分のみを。





オープン教育リソース(OER)から出てきたMOOCs


そもそもMOOCsというのは、Open Educational Resources (OER:オープン教育リソース)という、MITのオープンコースウェアに代表されるような教材をオープンにする動きから出てきたものです。
MOOCsがここ1、2年の動きなのに対して、OERは2001年あたりから動きとして世界に広まっています。

OERは、OECDによれば
「教員、生徒、自主学習らが授業、学習、研究などの目的で自由に利用・再利用できる、公開されたデジタル教材」という定義ですが、砕いて言えば
「インターネット上に転がっている、自由に利用できる様々な種類の教材(ビデオ、シラバス、課題、テストなどなど)」といったところでしょうか。
OERは数えられないほど沢山存在しますが、授業毎、モジュール毎に整理されたりしていて、学習者が自分に必要なものを自由に選んで利用できるようになっています。例としては、次の二つが特に有名だと思います。

MIT OpenCourseWare - MITの講義の資料がほとんど詰まっている。OERの動きの火付け役。

Connexions - ライス大学で始まったOER。「レンズ」と呼ばれるユニークな質管理システムによって教材の質が保たれています。


学習者は、このようなオープン教材に自由にアクセスができて(登録、料金等一切なし)、自由に自らのレベルに合ったものを選び、学習することが出来ます。

OERとMOOCsは全く違うだろう!という意見もあると思いますが(OERは学習者の必要、興味に応じて教材の種類やメディアの種類、講義ビデオの有無などを学習者自ら選択することが可能なのに対して、MOOCsは、授業を提供する教師による伝統的な講義形式を貫いている、受講者同士でディスカッションできる、などなど違いが沢山ある)、理念としては同じもの(教育格差の是正、「知」へのアクセス拡大等※)を共有しています。

MOOCsは突然出現した画期的なものに見えますが、
実は以前からあったOERの理念にのっとっているわけです。




以上、ここまでで前半は一先ず終わりますが、
今回の記事では

①アメリカを中心に、MOOCsの失敗等に関する「ポストMOOCs」の議論がポツポツと結構出始めていること。

②MOOCsはもともと、Open Educational Resourcesという教材をオープンに公開する動きから発展したものだということ。

の二点を整理しました。

次回の記事では、この「ポストMOOCs」議論に対して自分がおかしいんじゃないかと思ったところを述べてみたいと思います。



※ちなみに、オープンエデュケーションの概観については、オープンエデュケーションに大変お詳しい北海道大学の重田先生のスライドが非常にわかりやすいので是非ご覧下さい。私も一部参考にさせて頂きました。