QLOOKアクセス解析

Sunday, November 4, 2012

オープンエデュケーションとTechnological Determinism


11月7日号のNewsweek日本版、特集としてオンライン大学を扱っているようですね。


特集:未来の大学

最近このようにして日本でもじわじわと認知されてきているオープンエデュケーションの概念ですが、
 この動きの広がりと定着に関連して、最近一部読んだ本の内容を通してすこし感じたことがあるので、書き留めておきたいと思います。


その本とは、これです↓
America Calling: A Social History of the Telephone to 1940

日本語版はこちらですね↓
電話するアメリカ―テレフォンネットワークの社会史

現在カリフォルニア州立大学バークレイ 校の社会学の教授をしているClaude Fischerという社会学者の本です。
発売は1994年なので、今から約20年ほど前の本になります。
彼はこの本の中で、電話というテクノロジーが社会に浸透していくプロセスを分析しているのですが、
大きくわけて以下のアプローチを紹介しています。

①Technological Determinism

②Social Constructivism

①は、いわゆる「テクノロジーが社会変化を決定付ける」ような意味合いだと捉えられると思います。
その中ではさらに細かい分類があるのですが、その一つであるImpact Analysisの部分で
Fischerは「ビリヤード・モデル」を紹介してこれを詳しく説明しています。

つまり、テクノロジーは外部から入ってきて、ビリヤードのように、社会のいろんな面にインパクトを与え、さらにそのそれぞれがまた別の部分にインパクトを与え…と、次々と変化が起こっていくというわけです。

このプロセスではEconomic Rationality、すなわち経済的合理性が重要視され、そのテクノロジーを使うことで経済的に合理的な結果となると判断されればそのテクノロジーが社会に受け入れられることとなります。


そしてそれに対して②は、トップダウンでない、「社会がテクノロジーや、その使われ方を決定する」というアプローチです。
Fischerはこちらの考えを支持しており、テクノロジーは社会の様々な制約や人々の好み、人間関係などによって社会に適用されるということを主張します。
その使われ方は経済的に合理的かどうかに関わらず、社会の中で決定付けられます。


このような二つの異なったテクノロジーの捉え方は、現在のオープンエデュケーションの動きにまさに合致しているのではないでしょうか。


Courseraのco-founderであるDaphne Koller教授のTED Talkを見るとわかりやすいと思いますが、
最近のトップダウン的なオープンエデュケーションの取り組みにはどこか①のようなアプローチに似ている部分があると感じています。(まあTEDはそのように喋ることになっていますが)

TED Talk by Daphne Koller↓
Daphne Koller: What we're learning from online education


つまり、「無料で、世界のどこにいても受講することができる質の高い講義を選択することは、アメリカの高等教育にかかる費用を見ても明らかなように、経済的に合理的なことであり、世界の教育を変えてしまうだろう」、という主張は決定論的な変化を多少強調しすぎているのではないでしょうかということです。

「津波」という言葉を用いてアメリカの各紙はその変化の波を強調していますが、ビリヤードのようには上手くとんとん拍子でいくものでもありません。


例えば先日、Courseraで多数のplagiarismの不正があったことが発覚しました。
Dozens of Plagiarism Incidents Are Reported in Coursera's Free Online Courses 

plagiatismは退学になるかどうかのレベルの重大な不正ですが、
今回のオンラインコースでは、Peer Reviewの採点方法をとった結果発覚したらしいです。
参加者によれば、平気で引用なしにウェブ上のものを自分のものとしてペーパーに書いているようなものが非常にたくさんあり、とても読むに耐えないものもあったようです。
参加者は他の参加者のペーパーを読み、コメントと採点をするらしいですが、plagiarismをしているペーパーにコメントはできない、内容についてコメントや採点をするようなものではない、と参加者のブログに書かれている のが印象的でした。

さらには、誰でも参加可能なため、ペーパーの英語がほとんど読めないものも多数提出されており、参加者のレベルの違いにも大きな差があり、collaborative workを強制するにも無理があるように思いました。


「質の高い講義が誰でも受けれる」という言葉は、個人的な学びの際には非常にありがたい言葉なのですが、果たしてそれがcollaborative workになった際にとてもいいものなのかは疑問が残ります。
構成主義的な学習をオンラインコースで大人数相手に行うのはまだまだ難しそうです。(KollerはTEDの中でpeer reviewの効果を述べていますが…)


よってやはり、もっとこれからミクロレベルの調査が必要になってくるのかと感じているところです。
無料だからといって、経済的だからといって今までの教育と取り替るとは限りません。
鍵はおそらく、学習者のニーズや、社会的なコンテクストにもかかわってくるのでしょう。
アメリカのように高等教育にかかる費用が高い場所ではある程度上手くいったとしても、世界全体の動きになるかどうかはわかりませんよね。



Fischerを読んで、改めてオープンエデュケーションを違う側面から考えることができたのはよかったと感じます。
当たり前といえば当たり前ですが、こうやって自分が知らなかったアプローチ方法を新しい部分に当てはめるのはいい経験だと思っています。

Wednesday, August 15, 2012

翻訳の難しさ。。。

お久しぶりです。
3つ目の記事ですが、少しずつ時間があるときに更新していきたいと思います。。。

今回は、Open Educationに関連して、ビデオ教材を翻訳する難しさについて少し書いてみたいと思います。


私は現在、少人数ではありますが、「Khan Academy 翻訳プロジェクト」というFacebookグループを立ち上げ、
Khan Academyのビデオ教材を少しずつ日本語に翻訳して、日本人がKhan Academyの教材に気軽にアクセスできるような環境を作っていくことを目指しています。
それを通じて、オープンエデュケーションのことを少しでも多くの日本人が知るキッカケになればと思い、微力ながら努力しております。
これは、そもそも私がオープンエデュケーションに興味を持ち、調べていたとき、英語教材ばかりで日本人にはアクセスしにくいなと思ったのがキッカケです。

翻訳を行うのはもちろん初めてですが、Khan Academyのサイトから進めば
非常に易しい手順で、テキスト化された英文の和訳をすればいいので、
初心者でも気軽に翻訳が行えるようになっています。↓
http://www.khanacademy.org/contribute

現在は十数個のビデオを翻訳しましたが、
その過程では、様々な難しさや面白さを発見することができました。

1語順の違い
これは翻訳の経験のある方なら当然お分かりのことと思いますが、
英語と日本語は語順や言い回しが異なるため、
英語のビデオを翻訳する際、そのまま翻訳してしまうと、おかしい表現になることがあります。
この場合は、日本語で意味が通るように翻訳しつつ、本来の英文の表現も伝わるようにする必要があるのでなかなか時間がかかることが多いです。
しかし、何本も翻訳していると段々とコツを覚えることができてきます。


2ビデオとの一致
教材はビデオなので、ビデオの流れと翻訳文が一致していることが必要になります。
これは1の語順の違いを考慮したときにとりわけ重要になります。
語順を入れ替えれば、必然的にビデオで示している内容と異なってしまうのです。
翻訳のテクニックを持ち合わせていないので、現在はこういう状況の時には、視聴する側がわかる範囲で語順を入れ替えたりすることが多いです。
しかし中にはビデオで示していることと翻訳文があまりにも異なってしまうときがあり、それはダメだと思うので、試行錯誤して何とか理解できるようにしています。
この部分は今後の課題だと思っています。


3漢字や難解語句の程度
ここは「教育ビデオ教材」というものに特徴的なものだと思います。
私たち大学生や社会人が翻訳する側に立つと、ごく普通に漢字や専門語句を使って翻訳してしまいますが、視聴対象として小学生のような年齢の人が見る可能性があるビデオがたくさんあります。
そうなると、当然小学生が習わない漢字は使うことができません。
また、数学で使われる語句や専門語句なども同じで、小学生や中学生には難しすぎる語句に翻訳してしまうのは不適切です。
この場合は、言い換えが必要であったり、平仮名で翻訳したりと、工夫しなければなりません。
常に視聴対象がどのような人物であるかを念頭において翻訳しなければいけないということです。
とはいっても、僕たちの翻訳グループでは数学が苦手な学生や英語が苦手な学生もいるので、立ち上げて数ヶ月しか経っていない現在はこの点まで考慮して翻訳してもらうことは求めていませんが。。。
(ある程度数が増えたら、あとで処理しようと思っています、)
ボランティアという形で、「時間があったら翻訳してください」と頼んでいるので、翻訳自体を難しくしてしまうと参加意欲も減ってしまうので。。。


以上3点が、今現在感じる、翻訳の難しさです。
翻訳初心者の私のような者は、こうやって体験して初めてわかる難しさがあるので、
そこから学べるコミュニケーションの問題などもあり、非常に勉強になります。






Friday, July 13, 2012

Lectures by Dr. Kiyoshi Kurokawa and Prof. William Saito

7月10日と11日、ICUで行われているGlobal Leaders Studiesで、国会事故調の委員長である黒川清先生と、InnovationやEntrepreneurship等の活動に従事されているWilliam Saito先生のレクチャーがあると以前からうかがっていたので、ICUの教授にお願いして聴講させていただきました。

黒川先生は、『世界級キャリアのつくり方-20代、30代からの”国際派”プロフェッショナルのすすめ』を高校生のころに読んでからずっと尊敬していた方だったのですが、お忙しい中、大変面白く、ためになるお話をしてくださいました。原発事故に関連させながら、ビジネス分野に限らず「境界」のない世界で生き抜くためにはどうすればよいかをお話して下さり、質問もできて、非常に楽しかったです。
そんな黒川先生もOpen Educationの動きにはとても注目なさっていて、Khan AcademyやMITのことに触れ、これまでEducation/Research institutionとしての大学であったのが、これからはLearning を提供するinstitutionへと変わっていくのではないかとおっしゃっていました。大学はまだまだ歴史が浅いものですし、誰でも好きに自由に学べるような機会を提供するinstitutionへと変わる、という動きが大きく興ってもおかしくはないと感じました。

Saito先生もビジネスの話を中心に、世界市場に目をむけ自らの可能性を十二分に発揮するためにはどうすればよいかということをお話してくださいました。


どちらの先生方の話にも共通してるのは、フラットになっている世界で活躍するために「個」の力を磨くことに専念しろ、ということでした。
組織は移って当たり前、自分の成長を優先して生きていくことが大事だと改めて痛感しました。。


参加者は大企業の中間管理職の方がほとんどで、20人程度。とてもフレンドリーで楽しい雰囲気でレクチャーが行われていました。

黒川先生のレクチャーの日には、ICUを今年卒業し、国会の事故調でインターンをしている女性の方にお会いしました。9月からイギリスの大学院に進学するそうで、ギャップをうまく活かして黒川先生の近くでお仕事されているのが羨ましかった!





Tuesday, July 3, 2012

MIT 宮川教授講演「教育のオープン化」

ブログの一つ目の記事の投稿です!
教育について主に書いていきたいと思っています。よろしくお願いします。



先日、関西学院大学で開かれた、MIT教授の宮川先生の講演に参加してきました。
タイトルは「教育のオープン化:アメリカの大学のビジョンと今後の展開」です。

参加者は関学の先生方や大学職員の方、NPO代表の方など20人程度。学生は僕のみだったようです。


内容は
まず一時間かけて宮川先生が、先生ご自身が携わってらっしゃるMITでのOCWの展開やその過程、ユーザー数の推移や、なぜ成功したのかなどのお話と、最近興ってきたOpen Educationの活動 (Coursera, Khan Academy, MITx, edXなど)のお話をされました。

ここで興味深かったのはMITのOCWのアクセスが毎月120万人以上あること、また、生徒の90%、Facultyの84%が使用しているということです。
これについては京都大学のOCWのアクセスなど、日本ではどのように使われているのか気になりました(発展途上なので比較は難しいかもしれませんが)。
学生の視点から考えた場合、そこまで真剣にレクチャーを聞いて、ノートをとって、課題をやるというような姿勢がなかなか学生にないので、例えOCWとして講義のリソースがそこにあっても、なかなかアクセスするようにはならないのではないかと感じました。


後半の一時間は参加者と宮川先生でディスカッション形式で質問をみんなで考え話し合いました。
そこで日本とアメリカの土壌の違いに特に重点が置かれた活発な議論がされたのが印象的でした。
どうしてアメリカではOCW=良いことという雰囲気が作れるのか、財団がお金を出してくれるのか?
どうして日本ではそうはならないのか?
ここは、日本でOpen Educationの考えを広めたい僕も興味があるところなので面白かったです。



それにしても、学生主体の動きとして
授業の情報を皆で共有して授業評価をしているという話を出したときに
先生から苦笑いされたのは少し残念でした・・・。
普通はそのような指摘を学生からされたら、反省すべき部分だと思うのですが(笑)
教育の質改善に向けて逃げているようじゃいくらOCWだけ進めても
その大学の教員の授業改善にはつながらないよなあと感じた瞬間でした。