*English follows Japanese
先日ビックリしたこちらのニュース↓
誰でも無料で履修 東大、オンライン講座を9月開講
東京大学がアメリカの代表的なMassive Open Online Courses (MOOCs)プラットフォームであるCourseraに日本で初めて参加することを発表しました。
タイミングがばっちりだった先日のワークショップでも、少しお話が聞けてよかったです。
この動きに関連して、すこし考えてみたのは、「オープンエデュケーションと文化帝国主義」 についてです。
文化帝国主義 (Cultural Imperialism) という言葉はしばしば非難的に用いられますが、私が用いている範囲においては、一国の文化がその他の国の文化に侵食していくといった簡単な意味で捉えて頂ければいいかと思います。
偶然見つけた、Hong Kong Shue Yan Universityという大学のAssociate Academic Vice PresidentであるAndrea Hope (2005) の以下のような文を見たのがこれを考えたキッカケです。
"Cultural imperialism as exemplified by the use of English rather than the national language; a standardized curriculum rather than a culturally embedded syllabus; and norms of degree architecture rather than a local model."
HopeはこれをDisadvantages of Transnational Educationの一つとして記しています。
要するに、例えばアフリカの子供がアメリカからの遠隔教育を受ける際に、アフリカの言語を用いずに英語で教育したり、アフリカの教育文化の中で使われてきたシラバスのようなものを使わずアメリカのものを適用したり、学位などのシステムもアメリカのものが入ってくる、といったところでしょうか(degree architectureの訳があまりわからず、不確かですが。。。><)。
この文は8年ほど前に書かれたものですが、私はこの文化帝国主義の観点から
現在注目されているオープンエデュケーションを捉えてみると面白いのではないかと思いました。
つまり、MOOCsに代表的なオープンエデュケーションにおいて、仮に、主にアメリカを発信源とするアメリカの教育文化がその他世界へ普及・侵食している、と捉えてみると面白い考察ができるのでは、ということです。
私もいくつかの授業を受講していますが、例えばCourseraのコースは全て英語で提供されていて、シラバスなどは、おそらくアメリカの教育を基に作られているはずです。
しかしここで、MOOCsをそのように捉える際に、興味深い点が二点あります。
①10年ほど前と比べ、英語がグローバルな言語だという感覚が強くなっているということ
②東大など世界各国の国がMOOCsに参加し始めていること
①についてですが、
近年、楽天などが社内公用語を英語にしたことなどに見られるように、世界全体で国際的な取引や移動が増えていると思います。そうした中で英語は世界中どこでも使われるようになってきています。
これがHopeの文が書かれた8年ほど前とはだいぶ状況が違うのではないかということです。
もはや英語で教育を提供することは、「欧米文化」の伝達などではなく、当たり前のこととして捉えるべきでしょう。
日本にいるとその感覚を掴みづらいかもしれませんが、お隣の韓国やその他アジア地域の事情を考えれば納得できるかと思います。
なので、英語を文化帝国主義の表れとして論ずるのは不適切だと感じました。
②については、
この記事の冒頭にも書きましたが、東大を含めアジア、イギリスなどアメリカ以外の地域から
CourseraなどのMOOCsのプラットフォームを使って、教育を提供する大学が増えてきたということです。
このプラットフォームというのがミソで、Courseraはアメリカの大学のみを受け入れるのではなく、世界各国の教育機関の講義を提供するプラットフォームとして機能しています。
すなわち、東大などアメリカ以外の国が自国で行ってきた教育をMOOCsを通じて世界へ発信できるので(もちろんMOOCs用に構成し直すでしょうが)、その意味では「文化帝国主義」の「文化」が一国のものではなく、バラバラ、もしくは複数の文化のミックス状態になっていると思います。
ここで「複数」といったのは、例えば東大がCoursera上で宇宙物理学の授業を開講する際、シラバスは日本の大学で主に使われるようなものにするでしょうか、それともアメリカのものに近いものにするでしょうか。もし後者なら、アメリカの教育プラットフォームで、アメリカ型のシラバス形式で、日本の大学が授業を行う、といった、面白いことになります。
もはや文化といって何を指すのか、ということがあいまいになり、ただ一国の文化が他の国や文化に一方向に伝わるようなものではありませんね。
以前はdisadvantageとして懸念されていた教育における文化帝国主義が、今は複雑なものになり、もはや意味をなしているのかさえわからなくなっています。
今まさに、MOOCsを通して、文化帝国主義という概念自体がもう時代遅れだということを私たちが思い知らされているのかもしれません。