MOOCsが全てではない
前回の記事→「MOOCsは学びの最終形態ではない???①」では、以下の二点について整理しました。
①アメリカを中心に、MOOCsの失敗等に関する「ポストMOOCs」の議論がポツポツ出始めていること。
②MOOCsはもともと、Open Educational Resourcesという、教材をオープンにする動きから発展したものだということ。
私は最近のメディア報道やアメリカでの動きを眺めてみて、
MOOCsはメディアで騒がれるように、それのみが次世代の教育になりうるのではなく、
以前からある教育の新しい発展の枝分かれの一つにすぎない、という見方をしてもいいのでは、と感じています。
わかりやすく説明すると、
前回の記事でも紹介した「ポストMOOCs」という呼び方は、いかにも
従来の教育 →(OER)→ MOOCs → ポストMOOCs
という、アメリカのメディアの過度な取り上げ方による一直線の教育の進化を前提にしている見方であると思うのですが、
本来は
従来の教育 → ( )
→ ( )
→ OER → ( )
→ MOOCs
→ ( )
といったように、教育イノベーションの一つとしてMOOCsを捉えるべきではないのではないでしょうか。
その見方を支えそうなものとしてOERについて言及すると、
OERの主要な動きは、先に述べたアメリカ発の例に留まらず、下の例のように全世界に広がっています。
Japan OpenCourseWare(日本)OER Africa(アフリカ)OpenLearn(イギリス)
これに対して、MOOCsはどうでしょうか。主要なCoursera, edX, Udacityはどれもアメリカ発のものだと思います(他にイギリス発のものもありますが、そこまでまだ知られていないと思います)。
実際、アジアの教育者たちはMOOCsに対して「様子見」をしている人が多いようですし、有名なMOOCsの一つであるedXで提供されたMITのコースに登録した人の内訳として、アメリカ、インド、イギリスがトップ3を占め、中国からは予想に反してわずかしか登録していなかったという報告もあります。
このような点について私が考えたのは、おそらくMOOCsが、アメリカのように大学に通うコストが高いような背景のある国にまさにマッチしているものだからこそ、これまでメディアも大きく取り上げ、教育を変えるように確信されていたのでは、ということです(アメリカ中心の視野の狭さ?それに追従してしまいかけている全世界の注目?)。
でも実際は初期MOOCsはそこまで騒ぐほどでなかった、という感じ。
世界を驚かせる動きであったのは確かですが、全世界を巻き込む教育イノベーションになるにはまだ早かった。アメリカの有名大学がこぞって参加したこともあり、全世界の注目を集めている影響で、MOOCsに期待がかけられていた面が大きいのでしょう。
しかし、私はオープンエデュケーションを推進したい人ですので、このような失敗から学び、より効率的に学習ができ、全世界に対応する新しい教育の形態が生まれるべきだと思っています。MOOCsは終わったみたいな書き方をしましたが、冒頭部分で紹介した記事のように、MOOCsから得られた新しいものを活かしていく、もしくはMOOCsをもっと柔軟性のあるものにする方向となれば、現在ある問題を克服していけるはずだと思っていますし、私もそのような部分の改善及び推進に生涯を通じて尽力していく所存です。